塵芥の終着点

いろいろ考え中です

時空の檻に閉ざされし少年少女たちの話

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あずまんが大王。JK日常系4コマの先駆け的存在の作品である。

この作品は漫画雑誌「月刊コミック電撃大王」において、1999年から2002年にわたって掲載された。この「3年間」というのが、とても意味のある年数なのだ。

あずまんが大王は現実と時系列がリンクした作品だった

第1話では高校1年生の始業式から物語は始まり、月刊に合わせて翌月は5月、その次は6月のように月単位で物語は進む。基本的に主人公という主人公は存在せず、メインとなる仲良しグループや、生徒たちを受け持つ先生など様々な人物がゆる〜く4コマで描かれる。

で、今回は具体的な内容を話すつもりではなくてですね。まあとりあえず読んだこと無い人は今すぐブックオフでもいいので買ってきましょう。写真の新装版はただの再録ではなく、作者が随所の絵や内容に変更を加え、連載当初より現代人に馴染みやすい作品になっておりますので、まずはこちらからどうぞ。

月単位で物語が進むという話に戻ると、ということは必然とこの作品は「卒業」と向き合う必要が出てくるわけだったのだ。当時作品の人気は凄まじく、終わらないでくれという声も多かったそうなのだが、この作品はきっかり3年間で幕を閉じた。引き延ばすこともなく、大学生編に突入することもなく、卒業と同時に物語は終わったのだ。

3年で終わることの「凄さ」

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(今でこそ休載が多すぎて、いつの間にかガラケー時代の世界観でばーちゃんがiPhoneを購入してしまう『よつばと!』を描いているあずまきよひこ先生ではあるが)作者の当時の判断は凄いと思うのだ。あずまんが大王が後世に語り継がれる名作となった最たる理由であるとさえも思っている。最終回がとにかく綺麗なのだ。最後の直前の直前までいつも通りに笑わせてくれるのに、最後の最後でふわっ、と、涙を誘う終わり方である。卒業ってこういう感じだよね、という気分にさせてくれる(でも僕は男子高だったので彼女たちの気持ちはわかりません)

大学生編は「蛇足」

まず、断言すると、JK日常系漫画において大学生編は100%蛇足である。いらない。やってはいけない。理由は単純で、大学生はクソだからである。大学生は酒を飲むしセックスをするしユーテワンチャンアルッショウェーイをする。要は端から眺めても面白くないのだ。そういったイメージと乖離させた「今まで通り」を大学生編でも貫き通すのは、正直しんどい。それはおとぎ話になってしまう。

高校時代というのは、創作において黄金の3年間であると自分は考えている。部活動、友情、恋愛、etc、何を題材にとってもそれは美しいのだ。そこに汚い要素が見え隠れしない。ていうか、汚い要素があったらそれはそれで歳不相応という面白いネタになる。そして割と普通に人生を歩んでいれは、ほとんどの人間は高校に通う。創作というのは人生経験がものをいう面が少なからずあるので、作り手側からしても高校を舞台にするのは、自身の経験と照らしあわせることができ、とっつきやすい題材なのだ。

……なんか話がそれたけど、ともかくJK最高

大学生編がダメなら、じゃあどうすんのさ?

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(ここからはJKの話に限らないのだが)そうは言ってもコンテンツに人気が出てしまえば、続けざるを得ない。で、やっぱり手段としては『サザエさん時空』 になってしまう。歳を重ねないワンダーランドを築き上げてしまえばいいのだ。

でも、でもね、僕は言いたいんだ……

サザエさん時空は……もう……やめてくれ……

時空捻じ曲げアレルギーになってしまった

なってしまった。僕、アイドルマスターシンデレラガールズスターライトステージとかいう正式名称がめちゃくちゃ長い音ゲーに去年どっぷりハマってたんですよ。諸星きらりが大好きで、道明寺歌鈴が大好きで、ゆかゆかのりこが大好きなんですよ。モバマス時代からある程度キャラは知ってて、アニメも見て、という感じだったんですが、熱中したのは去年からでした。で、ちょっとその熱が冷めた瞬間がありまして…それがサザエさん時空なんですが……

アイマスという長寿コンテンツの1つとして、またゲームタイトルであるという媒体の性質上、サザエさん時空になることは当たり前だしもちろん異論は無い。本当は歳を重ねた描写も見てみたいけど、それは公式がやってはいけないことである。でも、でもこれはやめてほしかった……

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アニバーサリーである。この画像は1周年記念の時なのだが、2周年記念のときも似たような感じだったと思う。このイベントのストーリーで、アイドル達は「1周年」などといった具体的な年月の経過を表現せずに「アニバーサリー」「事務所のアニバーサリー」「アニバーサリーイベント」などをただ連呼していた。

ただそれがすごく気持ち悪かった

普通お仕事が絡む話でそんな抽象的な表現ばっかりすることはまず無いし、それを当たり前のように受け入れているアイドルたちを見て僕はただ悲しくなってしまった。ひねくれた性格であるため、こういうのを見てしまうと、クリエイターの都合でキャラクターたちが喋らされているように感じてしまうのだ。僕は漫画家の冨樫義博先生が大好きなのだが(なんか休載漫画家ばっかりだ)、冨樫先生はジャンプの新人賞での総評でこう言ったことがある。

話の勉強をして下さい。苦労するのが嫌なら凄いキャラを作って、そいつが動くのに任せて下さい。漫画家になりたいなら絵を描いている暇なんてないはずです。 

 漫画の技術のことはこれっぽっちも知らないので、この意見が真っ当なのかは知らない。しかし「キャラが動くのに任せる」というのは言い得て妙である。実際、ハンターハンターキメラアント編のキルアなんかはこれが非常に良く出ていると思う。こいつがこういう状況におかれたら、絶対にこうするだろうな、と、そんな風に生き生きしている。つまり作者の都合で捻じ曲げられていないのだ。

話は戻るが、なぜ「アニバーサリー」連呼が気持ち悪いと思ったのかの答えがこれだ。どうにも製作陣の都合で言いたいことを言えない文字通り、作られた『偶像』のように見えて仕方がなかったのだ。時間軸をちらつかせないようにするシナリオライターの工夫であったことは明らかであるが、それが不器用すぎて目に付いた、と言ったところであろうか。個人的には、何かアニバーサリーとは関係の無い大きなイベントを題材にしてストーリを作った方が、キャラクターもより活きたのではないかと思う。歳はとらない、という設定の上で事を運ぶのであれば、時間の流れを見せる描写を排除するべきなのだ。そこには「時間」と「成長」という相反する二つを同時に扱わなくてはならないというジレンマであり鬼門が待ち構えているのだが、そこで「成長」だけを巧みに見せるのがシナリオライターの腕の見せ所だ。キャラクターがしたいように動かせるか、そこが決め手であろう。

結局何が言いたかったのかというと

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という訳で、時間軸を止めざるを得ない作品の扱いって難しいよね、というお話でした。キャラクターを作るということは、同時にキャラクターの成長を見守る役目を背負うということである。時空の檻に閉じ込めてしまうと、どうしても無理が生じてしまう、成長が止まってしまう、それが怖いのでした。逆にいうと、そこをあまり気にせずに楽しめる人間になりたいと、そんな大晦日でした。それではみなさん良いお年を。ちなみに僕は時空の檻に閉じこもって卒論から逃げ出したいです。